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      六日間(日記) 與謝野晶子

       學(xué)習(xí)abc吧 2015-01-03

      六日間(日記)


       三月七日

       機(jī)の前に坐ると藍(lán)色の機(jī)掛つくゑかけの上に一面に髪の毛の這つて居るのが日影でまざまざと見えた。私はあさましくなつて、何時いつの間にか私の髪がこんなに抜けこぼれて、さうして払つてもどうしても動かずに、魂のあるやうにかうして居るのかとじつと見て居た。さうすると落ち毛が皆一寸五分位の長さばかりであるのに気がついた。また昨日きのふの朝八みねの人形の毛が抜けたと云つて此処ここへ來て泣いて居たのを思ひ出した。頭が重い日である。源氏の藤の裏葉を七枚程書いたところへ、畫報社から寫真をうつしに來た。七瀬と八峰が厭がつたから私とりんとだけで撮つて貰つた。私は著物を著更きかへたついでであるし、頭も悪いのであるから買物にでも行つて來ようと思つた。高野豆腐の煮附と味附海苔で晝の食事をして私は家を出た?!痢列侣勆绀擞盲ⅳ膜郡閿?shù)寄屋橋で電車を降りた?!痢沥丹螭婴胜膜郡椤痢列侣勆绀匦肖膜郡韦蠠o駄だつた。有楽町の河岸かしを歩きながら、尼さんのやうなものをばかり食べて居るからこればかしの道でも苦しいのだと情けなく思つた。三越の二階で羽織を一枚染めるのを頼んだ。二三日前のふと考へて面白がつた酔興すゐきようのことも、いよ/\紫紺しこんにしてくれと云ふ時にはもうはづかしくなつてめようかと迄思つたのであつた。

      『少しおはででは御座いませんでせうか?!?/p>

      と云つた番頭さんに私は自分のぢやないと云つた。紙入かみいれを一つと布団ふとんの裏地を一ぴきさらしを二反買つて屆けて貰ふ事にした。神保町の通りで近頃出來た襟店えりみせが安物ばかり並べてあるのが何だか可哀相な気がして立つて見て居ると、小僧さんが何とかかとか云つてとうとう店の中へ私を入れてしまつた。元園町の女中に遣らうと思つて四十五銭と云ふ紅入べにいりのを一かけ買つたが、外にも何か買はせようとする熱誠ねつせいと云ふものが主人と小僧さんの顔に満ちて居るので、気が弱くなつて鼠地に蝶燕てふつばめの模様のある襟を私のに買つた。腹立だしい気がした。平出さんへ寄つた。煙草たばこしいと云つたらエンチヤンテレスはないと笑はれた。私のために送別會をしてくれないやうに、著て出る著物がないから今からお頼みして置くのだと私は云つた。昨日きのふも平野君がその話をして綺麗な自動車にあなたを載せて街を皆で歩かうかなどゝ云つて居たと平出さんは云つた。玉川堂ぎよくせんだうで短冊を買つて帰つた。子供等は持つて帰つた林檎をおいしさうに食べるのであつたが、私は一れも食べる気がしなかつた。夕飯ゆふはんの時に阪本さんが來た。留守の間に淺草の川上さんのお使つかひが見えたさうである。

       八日

       昨夜きのふは雅子さんの夢を見た。雅子さんに手紙を書かうかなどゝ朝のとこの中では考へた。川上さんの女の書生さんが見え、吉小神きこがみさんが來た。昨日の続きの仕事をして居たが晝頃から少し頭痛がし出した。湯にでもはいつて來ようと思つて、七瀬と八峰をれて湯屋へ行つた。帰つて來て髪を解いたがいよいよ頭痛がはげしくなつて身體からだの節(jié)々も痛くてならなくなつて來た。しうさんが來て短冊をしいと云ふので五枚書いて渡した。來月の末に加藤大使が英國へ帰任するのにシベリヤ鉄道でくから、同行を頼んでやらうかと役所で云つてくれた人があつたが、船に決めたと云つて斷つたと聞いて私は殘念でならなかつた。新潮社の中村さんが來た。何度逢つても例のやうな私には覚える事の出來憎い顔であるなどと話しながら思つて居た。夕飯ゆふはんを味噌漬の太刀魚さんまで食べた。みつが煮しめばかり食べてうをを余り食べなかつたからソツプを飲ませた。玄関の土間の暗くなつた頃に平野さんが來た。これから暁星の夜學(xué)にくのだと云つて[1]腰を掛けた儘で話した。先刻聞いた加藤大使の話をすると、さうして汽車に乗つて行つたらい。免狀なんか書き替へて貰へばいと例の調(diào)子で云つてくれた。然しその話がほかから來たのではなし、汽車の旅を大反対のしうさんの持つて來た話なのであるから、私は苦しんで居るのだ、出來さうにないわけだと私は思つて居た。茶の間へ來ると、

      母様かあさまは面白い人ね、平野さんのおとうさんと話してたのでせう、平野さんぢやない人と話をするなんか?!?/p>

       と七瀬が云つた。平野さんだと云ふと、

      『さう、やつぱし平野さんの子供の方なの?!?/p>

       と驚いたやうに云つて居た。子供のとこをとつて居るうちに倒れる程頭が痛んで來た。私は晝の著物を著たまゝで子供の寢る時刻からとこつて居た。私は眠りさうなのであるが桃が明日あしたの買物にくと云ふのをめるのも何だと思つて、

      『ああ。』

       と云つて出してやつた。桃は玄関の戸を閉め寄せて行つた。こはい夢を見て目を開くと九時であつた。桃を呼んで見たがまだ帰らないらしい。風(fēng)が戸に當(dāng)つて気味の悪い音を立てゝ居た。私は今見た夢の中の心持ちの続きも交つて居て恐しさにどうすればいかなどゝ思つて居た。十五分程して桃が帰つて來たので嬉しかつた。頭痛はもうなほつて居た。私は桃を?qū)嫟丹护皮椁蓼渴耸陇颏筏坤筏俊J粫r頃に藤の裏葉を書いてしまつて、それから巴里ぱりーへ送る手紙を書いた。

       九日

       六時頃まで眠つたりめたりして居たが今日けふ身體からだだるい。昨日きのふ送る筈だつた某誌の選歌をしようと思つて出しながら気が進(jìn)まないので火鉢にじつと當(dāng)つて居るところ金尾かねをさんが來た。源氏の再版のいはひだと云つて煙草たばこを十二いろ交ぜて持つて來てくれた。嬉しくてならなく思つた。飲むのよりも珍しものきの私が見たこともないやうないろいろの色をして交つたつゝみだの小箱だのが私の所有になつたのが嬉しいのである。土曜日であるからひかるひいづは午後一人は木下さんへ、一人は本多さんへ遊びに行つた。三時過ぎにやつと選歌の原稿が出來た。もう一つこの仕事があると思ふと一層身體からだるいやうに思はれて、機(jī)にもたれて風(fēng)の吹き廻る庭を見て居た。古尾谷こをたにさんが見えたところ摩文仁まぶにさんも來た。この若い琉球の詩人と話すのに是非出さなければならない高い聲が出さうに今日は思はれないから、前に話さないで本を出して古尾谷さんにふらんす語を教へて貫つて居た。摩文仁さんは帰つた。覚え憎いので今日けふの稽古は見合せて貰つた。こんな頭の悪い時に習(xí)字でもして置かうと思つて自分の名だの良人の名だのを書いて居た。古尾谷さんに今朝けさ貰つた煙草たばこを一つゝみ上げた。昨日きのふ程ではないがまだ頭痛がして來たので七時頃に橫になつた。ぐ眠つてしまつて九時に目がめてまた十一時まで眠つた。起きてソツプを飲んでそれからこれをつけた。これから選歌をするのである。

       十日

       午前一時半にとこはいつて、五時に目がめて六時過ぎに起きた。日々にち/\に送る歌を読まうとしたが娘さん達(dá)の來る頃だと思ふと何だか気が落ち著かなくて一つより歌が出來なかつた。女の子の二人は元園町へ遊びに行つた。送つて行つたひいづは帰つて來るとまたぐ藤島さんへ行くみつと、水道橋の停車ぢやうまで一緒に行つた。天野さんが來てそれからおてるさんが來た。桃の母親が仕立物を持つて來てくれた。私は大急ぎでつもり物を六枚分こしらへてまた渡した。神保町で買つた襟をこの人に遣つた。二階へ行つて話して居るところへ松本さんが來た。お照さんは歌を二つより持つて來なかつた。今日けふは菊五郎格子がうしの著物も著て來なかつた。お納戸地のあらい井桁の羽織を著て居た??蓯郅ゎ啢颏筏咳摔坤?ruby style="line-height: 16px;">今日けふも思つた。松本さんははいつて來た時に大きい背丈の人だと今日けふも思つた。昨日きのふの仮裝會の帰りだと云つて阪本さんが車夫姿で來たから驚いた。良人をつとの手紙が配達(dá)された。謝肉祭カイニバルのことなどが書いてあつて、それから寫真が著いたと云つて子供の顔がよく寫つて居ない、私の焼鏝やきこてを當(dāng)てた髪を下宿の細(xì)君がめた、桃をふらんす人が美くしいと皆めるなどゝ書いてあつた。午後私は車に乗つて本郷へ行つた。生田いくたさんへ最初に行つたが生田さんはお留守であつた。奧様とお話して一時間程でおいとました。庭からお座敷へ通る時の気持のい家だけれど、夢の中でよくはいつてく家のやうな暗い玄関は忘れたい気がする。千駄木町の平野さんの家へ行つて老夫婦に逢つた。大連きの支度で忙しさうであつた。森さんへ伺つて二階のお座敷で一時間程先生とお話をした。曙町の藤島さんへ行つたらもうひかるの帰つたのちであつた。隠居さんの御病気はもうなほつて今日けふから起きたと云つておいでになつた。お雛様の前で隠居さんとお話をして居るところへ奧様は御馳走を運(yùn)んでおいでになつた。先生が畫室から帰つておいでになつた。紅梅こうばいが美くし[2]かつた。帰りに畫室にお寄りしていろいろのを見せて貰つた。こんな部屋がしいなどゝ珈琲こーひを飲みながら思つて居た。壁畫かべゑに書いておいでになる桃の花が暖い息を吹いて居るやうにも思つた。弓町の江南さんへも寄つた。二階から降りて來た時秋子さんの片一方の八ツ口から紫の襦袢の袖が皆出て居た。人が道具の中に沈沒して居るやうな座敷である。古い原稿紙で障子が張つてあつた。平出さんにも一寸ちよつと玄関で用事を云つて帰らうと思つて寄つたが留守だつたから奧様に頼んで置いた。古尾谷こをたにさんが私の出たあとへ來て下すつたさうである。某々二氏の土産みやげのお菓子を桃が見せた。ひかる今日けふいて來たのは男雛をとこひなであつた。

       十一日

       とこを上げたり座敷の掃除をして居るうちに急に今日けふは人並な朝飯あさはんを食べて見ようかと云ふ気になつた。オートミルを火に掛けるのをめさせて子供と一緒に暖い御飯を食べた。文士の決闘を書いたと云ふ良人をつとの原稿はまだ新聞に出て居なかつた。防水剤の話が丁度その欄に載つて居たので読みながら買つて見ようかなどゝ思つた。日々にち/\の歌を詠んで萬朝報まんてうはうの歌を選んだ。晝の白魚の吸物がおいしくなかつた。朝に御飯を食べたせいかも知れない。源氏の原稿を清書して居るところへ廣川さんが來た。話しながら私は去年の五月の初めにこの人などと一緒にした旅がしきりに思ひ出された。煙草たばこをすゝめるとクロノースを二本廣川さんは飲んだ。ひかるひいづが帰つてから女の子をれて湯屋へ行つた。醜い盲目めくらの娘さんが連れの娘さんにおしろいを附けて貰つて居た。帰りみちで、

      母様かあさん目の見えない人が居ましたね。』

      『あの人のお友達(dá)は親切でせう?!?/p>

      『顔も綺麗な綺麗な人ね、母様かあさん?!?/p>

       こんな問答を七瀬とした。夕飯ゆふはんを済ませて明るいうちにとこを敷いてしまつた。麟に狐の子供と鳩ぽつぽのお伽噺をして聞かせた。金尾さんが來た。蒲原かんばらさんへ行つた帰りださうである。道に迷つて線路の上のもろい土の所で落ちようとした時汽車が通つた。淺草の観音様の守つて下すつたのだなどゝ云ふ話をするのであつた。江南さんと秋子さんが來た。結(jié)婚屆に印を押してくれと云ふことだつたから、良人をつとの名や生月せいげつを書いて印を押した。原籍地には大字おほあざから小字こあざまであるのであるから私が覚えて居る筈もない。書附かきつけを見ながら書いたのである。三人が帰ると急に寒い気がしだした。服部嘉香よしかさんへ書く返事を明日あすのばして寢た。

       十二日

       良人をつとの手紙が著いた。船に乗る事は萬一の時の事にして必ず汽車で來るようにとまた書いて來た。夏の日に熱帯地を通るのは困難でもあらうが顔色が黒くなるだらうと私はそんな事も厭に思つて居る。午後生田いくたさんが見えた。煙草たばこのいろいろあるのを私と同じ程面白がつて飲んで下すつた。良人をつとの異父兄の大都城だいとじやうさんがしうさんと一緒に來た。二階へあがつた時今度空いた向ひのちひさい家へ移ることを修さんにふうされた。古尾谷さんに教へて貰つたが今日けふはよく覚えられた。

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